|
ネタ探しに右往左往
愛知万博を契機に、街が大きく変化しています。そうした街の変化などを話題に、今の豊田市の姿を書いていきます。万博ネタも、検証的に継続していこうと思います。 カテゴリ
お気に入りブログ
以前の記事
2006年 01月
2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2004年 09月 2004年 08月 2004年 07月 2004年 05月 最新のコメント
最新のトラックバック
ライフログ
検索
おすすめキーワード(PR)
ファン
|
2006年 01月 14日
EXPOエコマネーセンターが『みちナビとよた』に、2日間だけ臨時にオープンしています。万博開催時と同じように、エコマネーのポイントを貯めることも、使うこともできます。隣に『とよたエコシールセンター』もオープンしていますので、同じ場所で2倍のポイントを使うことができます。いろんな景品ももらえるので、是非行ってみて下さい。 また明日『とよたエコシール』を貯めた分と、万博チケットを持って、取材を兼ねて行こうと思います。久々に楽しみ! 万博の市民参加の取組みとして、おおいに盛り上がった『EXPOエコマネー』。それがどういった形で残っていくかに興味はつきません。 豊田市では『とよたエコシール』が実績を積み重ねていますが、色々な環境配慮行動として、選択の幅を広げていく時期にきています。貯めたエコシールを、地域の物産に交換とか、森や公園への植樹とか、いろいろに使えるのは大切なことだと思います。地域へ、社会へ、地球への環境配慮行動をすることは、大切なものを守って行こうとする意思表示でもあると思います。 2006年 01月 14日
2006年 01月 12日
石庭の鑑賞を終え、方丈の裏に有名なつくばいがありました。銭形を模した形で、中心の「口」の字を組み合わせて四方の字をつなげると『吾唯足知』の禅の教えになります。ワレ タダ タリタルヲ シル 現在の生活の豊かさから、次の時代の豊かさを考えるとき、自ずと「十分であること」の認識が重要になってくる。そして今こそ、何が真の豊かさかを考える時にきていると思います。 そんな日頃の漠然とした思いと結びつけつつ、日本の庭の精神と結びついた奥深さを、じっくり味わってきました。ストイックな造りとは裏腹に、豊かな気持ちになる庭園鑑賞でした。 2006年 01月 07日
しばらく正月休み状態でした。これから、ぼちぼち更新していきます。年末に行った京都のお寺レポートの続報です。世界文化遺産に登録されている龍安寺に行ってきました。有名な石庭は、築地塀〔油土塀〕の改修中でしたが、年末の慌ただしい時期だったためか拝観者はごくわずか。静かな禅寺を心ゆくまで味わいました。 石庭では、方丈の縁側に腰を落ち着けて暫し鑑賞。伝統的な日本建築における視線の高さは、やはり座したところからだと実感がわきます。 写真は、その石庭を模した『目の不自由な方へのミニ石庭』です。点字の解説もついていました。大切なのは五感をいかに解放し、庭園を通して自分と向き合えるかということのように感じました。 2006年 01月 01日
新年 あけまして おめでとうございます。
今年も、ゆっくりブログ更新していきます。 そのためにも新しいことを学び、あちこちに出かけることによって、新しい発見をしようとする気持ちを持ち続けたいと思います。 『学び』と『行動』のバランスがとれた一年にしたいと思います。 これからも よろしくお願いします。 2005年 12月 31日
おなじみの鹿苑寺『金閣』です。小学校の修学旅行時には、全然キンピカではなかった思い出があったのですが、改修もあって見事に光ってました。 冬のうす曇による弱い光の中でも、十分輝いていました。 あらためて異形の眩さに、圧倒されました。 2005年 12月 31日
瀬戸の市民パビリオンがでたついでに、トヨタグループ館の状況を見てきました。ゆっくり確実に解体が進んでいるようです。再利用のために部材同士をはさみ、その摩擦力によって接合しています。そのため解体した部材は、そのまま他の加工素材に使うことができます。 解体の状況も実にきれいです。 2005年 12月 31日
なかなか作業が始まらなかった万博瀬戸会場の『市民パビリオン』解体工事が、大詰めを迎えています。12月は忙しくて、解体の現場を訪れることが出来なかったのですが、久々に行ったらフレームを残すのみとなってました。 ヨーヨー・マのコンサートをはじめ、沢山の思出が残るパビリオンの最後の姿を、心に刻みました。 2005年 12月 28日
「豊田市で話題のモノって何?」と聞かれたら、色々あるうちの一つに『豊田市美術館』を入れても良いかと思います。何故って、個人の方が日記のように書いているブログの中には『豊田市美術館』関連の話題が多いから。書くに足る体験や感動を、豊田市美術館で受けているんだと思います。「豊田市」テーマのブログ検索サイト>とよたふぁいるず:とよたウェブログ でその数をみて下さい。 日本国中に様々な美術館がありますが、その中でも豊田市美術館は、近代的で美しい庭園と溶込むような建築が特徴です。その建築を設計した谷口吉生の展覧会の最終日を観てきました。オープニングを始め、かれこれ5回程観に行ってます。谷口吉生の展覧会を、谷口吉生の美術館で観ることが出来る幸せに、たっぷり浸りました。 建築作品の展覧会は、学生をはじめとした一部の建築好きは集まるのでしょうが、入る人数はたいしたこと無いと思っていました・・・。しかし、いつ行っても人が多かったです。これも谷口建築に対しての関心の高さの現れだと思います。 そして美術館講堂で「夢窓」という日本庭園をテーマにしたドキュメンタリーを観ました。谷口先生も出演していました。庭園って馴染み深いものですが、実際に見る人によって、その体験が大きく変わる不思議な場所でもありますね。禅宗の教えと共に、自身の内面と向き合う場所として発展してきた経緯を実感した内容でした。 年末年始の休みが始まり、日本の庭園を観に、旅に出たくなった今日この頃です。 2005年 12月 27日
12月22日から降り続いていた雪が止み、朝には雲の切れ間から朝日もみえる天気になってきました。雪景色の街へ、カメラをもって出かけてみました。 いろいろ撮ったけど、その一枚。 横浜で現代美術を観た影響なのか?普段はあまり立ち寄ることのないWip Toyota 2005『物見台』を撮ってきました。 『木』という物質感や素材感が強くでた巨大な作品が、この時だけは白く淡い光に包まれていました。美しい。 2005年 12月 27日
三州足助屋敷には、牛の親子もいます。子牛がジャレてるのが可愛かった。本当にノンビリした時間を過ごしています。 この他にも犬の営業部長もいますが、あいにくお昼寝中でした。来年は部長の干支です。お仕事頑張って下さいませ。 電気自動車の返却時間が迫ってソソクサと帰っていく姿を見たのか、牛がのんびりとした鳴き声で見送ってくれました。 2005年 12月 25日
三州足助屋敷に行ってきました。初めて入ったのですが、なかなか面白い。単に昔のものを展示してるのではなくて、職人が手仕事を公開しています。里山の『技』を、そのまま観ることで足助の生活、街のルーツのようなものを感じました。 こちらの写真は、傘職人さんが番傘つくってます。傘の骨組みから和紙を張るところまで、2人ですべての工程を行っていました。使われている紙は、同じ屋敷内で漉いている三河森下紙だそうです。紙漉きの職人技も見学できて、屋敷内の本物志向に納得。 2005年 12月 23日
足助で五平餅の美味しいお店に行ってきました。写真の『びっくりや』は、五平餅の専門店。味噌味を頂いたのですが、ふんわりした食感は、今までになかったものでした。味噌の風味も素晴らしく、1本をペロリと食べてしまいました。美味しかった。 ロールキャベツや、おでんもオススメです。 2005年 12月 23日
電気自動車『e-com』は、一回の充電で100kmの走行ができるようです。車は軽自動車規格ですが、2シーターなので、椅子周りは普通車と変わらない大きさかも。で、なによりキビキビ走る。しかも静か。途中、国道153号を50km/hオーバーで走っても余裕余裕。もちろん足助の古い街並を優しく走るのも得意です。 実用性を十分満足する性能を、もっていると思いました。 普通車の駐車場で、縦に半分余るのも可愛すぎる! 2005年 12月 22日
豊田市では、色んな社会実験が行われているのだと感心してしまいます。『電気自動車の共同利用実験』。随分前から行われていた実験ですが、一部の企業、団体のものだと思ってました。しかし、この実験が来年の3月までと聞いて、ダメ元で実験の参加を申し込みました。 そして初めてのドライブとなった今回、記念すべき第1回目のお出かけ先として足助を選択。利用制限いっぱいの50km、4時間にちょうどのお出かけでした。 足助の古い街並が残る中馬街道を、静かでコンパクトな電気自動車『e-com』で行くと、ちょっと街並も新鮮に見える気が。 車の利便性を手放せないかもしれない現代の人に、サステイナブルな方向を選ぶ選択肢として「電気自動車」「コンパクトなサイズ」「カーシェアリング」といった部分から始められるシステムが動き出すのは、良いことかと思います。 次につながるシステムが登場することを希望します。 2005年 12月 22日
豊田スタジアム始まって以来となる(?)FIFA主宰の試合を観に行きました。試合はトヨタカップ第1回戦『シドニーFC vsデポルティボ・サプリサ』12月12日の試合です。 そうです!このブログは10日遅れ。早く時間を巻き戻さなきゃ(^^;)。 試合は1チャンスをものにしたサプリサに軍配が。惜しかったなぁシドニー・・・。楽しみにしていたカズダンスも観れませんでした。残念。 2005年 12月 21日
横浜トリエンナーレを楽しみました。時間がないので、駆け足で観ることになったのですが、それはそれで楽しかったです。運動体である展覧会を、スピード感をもって観てきてきました。会場内には国内外の作家86名の作品があって、次から次へと体験する感じでした。そんな中楽しかった作品を列記します。直感としての印象で。(タイトルは勝手に命名、失礼。) ○暗闇の中の電飾ブランコ > 暗い中静かに揺れるブランコが幻想的。うっすら人(体験者)の気配があるのも良かった。実際に乗ってみると、すごくゆったりと動く。軸が長いからかな?駆け足のスピードから、一気に「ゆったり」気分に。 ○シャッターの隙間から覗くビデオアート > 街の風景の中でカメラを覗きこむ人々の表情。それが会場の倉庫の半空きのシャッターの巨大なスクリーンに写されていて、あたかも巨人がこの展覧会会場を隙間から覗いてるような気分に。覗く、覗かれるのパラドックス! ○奈良美智+grafの世界 > 奈良さんのイラストと犬のフィギュアが、空間に溢れていました。家の素材の感触も、ヒューマンなスケール感も楽しかった。 ○ビュレンのプロムナード > 距離が長いアプローチを、逆手にとったかのような空間づくりが素敵。風に旗めく赤白のストライプがつづくと、まるで生き物のような印象に。日本の幔幕みたいな、インスタントな祝福空間の演出が楽しい。 ○艀(はしけ)のラウンジ > 艀を使ったボート内を、ラウンジ空間のように改造した作品。微妙な揺れ具合が、ロッキングチェアのような寛ぎを演出してるのが面白かった。 ○勝手に話しかける公衆電話 > 電話ボックスに入り受話器をとると、一方的に語りかける電話機。留守電のメッセージのようだった。しかし語りかける内容から人と人のつながりの実感がわいてくる。公衆電話が鳴って受話器を取った時には、映画マトリックスを想像してたけど・・・。 思い出すまま乱雑に書きましたが、一番のハプニングは、総合ディレクターの川俣正さんに偶然お会いしたこと。FM局の公開録音の会場に使うカフェ(これも作品です)にて、会場の準備を指揮していました。いつもと変わらぬ挨拶をし、その場は一旦会場巡りに戻りました。帰り際に始まったばかりのトークを聞いた印象は、川俣さんの話や表情がとても弾んでいたこと。今回の企画を楽んでいたようでした。 Back to Wip Toyota 2004 は こちらから 2005年 12月 20日
8月19日以来の疑問の答えが、横浜にありました。山下公園に係留されている氷川丸の綱には、カモメがぎっしり。 みんな同じ方向を向いている!強い風が吹いてくる方向に向かって、とまる習性があると聞いていましたが、こうした光景をみると納得。 2005年 12月 20日
横浜ランドマークタワー展望台からの眺めです。横浜は、港を最大限に生かした街づくりを進めていますね。港にまつわる色々な魅力が、うまくミックスされた街となってます。 こうした活力があり、変化を続ける横浜が、『横浜らしさ』を変化の中で維持し、また増していく過程に興味を感じます。 規模こそ違いますが、全国各地で取組まれている街づくりの、良い手本になるのではないかと思います。そして『その場所らしさ』の魅力を、いかに継続的な流れの中で蓄積していくかが、ポイントになると思います。 2005年 12月 19日
大津の湖畔には、新しい大型施設がたくさんありました。建築のデザインは、今風の意匠をこらしたもので、それはそれで悪くはないのだけれど・・・。はたして大津市という場所にも、それで良いのか?古い街区には昔ながらのアーケードが残り、琵琶湖でとれた淡水の魚を扱う店など、この場所なりの特徴があって面白い。しかし古いアーケード街にはイマイチ元気がなく、シャッターが閉まった店舗も目立っていました。 今回大津市を歩いて、新旧の街のアンバランスが気になりました。それぞれの街区の魅力を発揮した発展が、街全体の魅力に寄与すると思うのだけど・・・。 2005年 12月 19日
琵琶湖からの水を京都へ引き込む「琵琶湖疎水」の取り入れ口が、三井寺の麓にありました。明治時代に人力のみで完成させた疎水は、今でも利用されている「生きた近代産業遺産」として、その堂々とした姿をとどめています。疎水の両脇には桜の木が植わり、春にはみごとな花が楽しめるそうです。 こちらのサイトによると、明治2年に東京へ遷都したことによって停滞した京都が、疎水によって蘇っていく姿が描かれています。「水力発電を採用したおかげで、新しい工場が生まれ、路面電車も走り出し、京都は活力を取り戻しました。」とありました。 人々の生活を支える水、そして近代化の原動力となった疎水には、多くの人たちの想いを感じます。 2005年 12月 18日
あれこれ見て歩き疲れたら、紅葉の奇麗な場所にある茶屋で一休み。「弁慶の引き摺り鐘」の伝説からか、大津名物は「弁慶の力餅」。緑色のきな粉のついた柔らかいお餅を食べながら、お茶をいただきました。 静かな時間と美味しいお餅。今年最後となるであろう紅葉をゆっくり楽しんだら、次に移動です。 2005年 12月 18日
三井寺で紅葉を楽しんできました。古寺の境内で色ずく紅葉は、目に眩しかったです。三井寺は平安時代からの伝統があり、その建物の多くが国宝、重要文化財の指定を受けています。優美な曲線を描く屋根や、バランスのとれたプロポーションからは、日本建築の美しさを感じました。 2005年 12月 17日
京都の隣の大津市に行ってみました。目的は琵琶湖の湖畔に発展した、伝統ある街並を楽しむため。街並散策人として、興味深い観察対象です。大津は京都の東山を越えたところにありますが、その静けさは別世界。静かな散策が楽しめる街です。 写真は、三井寺の観月舞台傍からの街の眺め。ウォーターフロントの近代的なビルの向こうには静かな琵琶湖の水面が広がっています。 2005年 12月 17日
先に登場した「梅田スカイビル」の建築家原広司さんの作品をももうひとつ。JR京都駅は、巨大な割れ目とも谷間とも言える空間を出現させました。そのスケールたるや半端ではない。もし自分の足で歩いて登るなら、ちょっとした山のように感じる程。エスカレーターがあって良かった^^;)。そしてこの巨大な谷間を結ぶ地上10階の空中歩廊が、目立たないけど存在してました。歩いてる人いなかったけど。 原広司さんは70年代から世界中の集落の現地調査を行い、その集落構造を建築のプランニングに結びつけて設計をすすめている。つまり一つのもの(建築)を、複数(集落)に見立ててつくる手法が、大きな特徴といえる。しかし大いなる建築家の視点は揺るぎなく細部にまでいき渡り、大きな一つの建築として存在することになる。 そうした錯綜したパラドックスが、いまひとつ整理できなくて、個人的な感想としては「大いなる謎」は、解けぬまま広がっていくのでした。それにしても、巨大な夢の物質化に戸惑った。 2005年 12月 17日
久しぶりに京都に行ったのは、お墓参りがしたかったため。小さい頃かわいがってくれた祖父母、叔父さんに会い、そして静かな対話の時間をもつことができました。そのあと、歩いて清水寺へ。久しぶりですね。そこでベタな記念写真をとってきました。紅葉は見頃過ぎですが、この微妙な頃合いが、かえって今の気持ちにはぴったりな雰囲気でした。 東山の街並を平安神宮まで北上しましたが、ちょっと観光客の多い京都を楽しむ気分にもなれず、次へ移動です。 2005年 12月 17日
大阪の天満の街を初めて散策しました。人であふれるアーケードは、街のパワーが漲ってました。そして全国でも増えているといわれる、いわゆる「シャッター通り」とは無縁のように思いました。平日のお昼にこれだけの人とは恐れいりました。アーケードの裏通りにも商店街が幾重にもあり、その元気度が素晴らしい。他の寂れつつあるアーケードとはどのような違いがあり、活気の明暗を分けることになったのか気になります。これも今後の研究課題ですね。 とにかくこの辺の街はみっちり建て込んでいて、車での移動には適さない構造のようでした。ここで暮らす人にとっては「車で、ちょっと買い物」なんて、常識の範囲外なんだと思います。 そんな商店街で、お昼にいただいた「天ぷらうどん定食」は、関西風のつゆとツルツルシコシコ麺が美味しかった。 2005年 12月 17日
関西に行く機会があったので、梅田スカイビルを見に行きました。出来た当初から「変なビルだなぁ」と感じていて、行く機会があれば逃さず見ようと思ってました。屋上の展望台へは、外に突き出た展望エレベーター、上空につりさげられたようなエスカレーターを使って上っていきます。恐い程の展望性。自分がどこに居るのかを思うと「高さ」による恐怖を感じずにはいられませんでした。 2つのビルにまたがって載せられたような「空中庭園」は、174mの高さにあり、屋外に出られるのはビックリ。風がなかったので、快適な屋外散歩を楽しみました。大阪の街の大きな構造を上空から見れたのは、想定内の収穫でした。 建築家原広司さんの描く夢を、実現させた様なビル群。建築家個人の考える夢を、その巨大さと共に形にしてしまったことに驚かされます。しかし、この先生「大いなる謎」って感じです。 2005年 12月 16日
11月末に瀬戸の街中を歩いていると、道路脇のスペースに素敵な花壇がありました。そこでは地元の方々が、年末年始に向けて、花々の植え付けをしていました。その花壇には「瀬戸まるっとミュージアム」と書かれたボードがあり「この花壇は祖母懐連自治区が管理しています」と書かれていました。ちょうど作業を終えたところを写真を撮っていると、リーダーの方が話しかけてくれました。 なんでも万博を機に、街中を花壇で飾る政策がとられ、自主的に花壇の管理を引き受ける市民が出て来ているとのとこ。実際にこの花壇をデザインし、花の苗を育てるところから行っているのは、すごいことだと感じました。 街中を美術館と見立てた合い言葉「瀬戸まるっとミュージアム」。作品となるのは、こういった多くの人を幸せな気持ちにさせる市民の活動。こうした活動の積み重ねが、街としての厚みをつくりだすと同時に、こうした人と人のつながりこそ、豊かな社会をつくる礎だと思います。 2005年 12月 15日
なんと11日ぶりの投稿になります。すごく空いてしまった・・・。でも12月からは忙しい毎日の中、ちょっとした責任も増えてワタワタいていた感じなので、シカタナイカ。現在の瀬戸市の印象は、やっぱり「迷走」って感じではないかな?と思います。何よりも『万博』の迷走的な動きに、直接影響を受けていたのは否めません。当初、海上の森を開発して行う予定で始まった万博計画が、『環境』という面から新しい姿を模索しよとする過程で、海上の森(瀬戸市)から青少年公園(長久手町)へ会場建設が移りました。 主役の地元自治体であったはずの瀬戸市としては、大きく当てが外れて、まちづくり計画にも大きな影響があったと思います。うがった見方をすれば『万博瀬戸会場』は「規模が縮小しても瀬戸で開催を」といった地元の意地のようなものを感じました。なんだかそれ以外に、意味を見いだせないからです。この場所での最大の意義『里の自然学校』も、内容として盛り上がりにかけました。もっと森の奥に入り込まないと、みるべきものは少ないと感じました。 でもそんな逆風の中、瀬戸市は積極的に万博に参加していたと感じます。万博会場へのシャトルバスを運行し、市内でも万博に関連したイベントが多数行われていました。 ええっ?万博の話になってしまったが、本当はこれからの話が書きたかったのに(つづく予定) 写真は瀬戸蔵の吹抜け。未来の明るさが見えるか?
|